先輩漁師になる

彼女のことを忘れようと、毎晩街に繰り出しては浴びるように酒を飲んで憂さ晴らした。
出港当日の朝、約1週間振りに実家に帰った。
久しぶりに帰宅した僕の顔を見た母親に「あら、見慣れない人がいる」と言う嫌味を聞き流し、居間に行くと船頭と男の人が座って食事をしていた。
船頭が「この航海から、うちの船に乗る吉田まさる君だ」と、その男の人を僕に紹介した。
「この人、漁師の匂いがしねーな」と思いながら「どうも」と僕が挨拶すると「初めまして、よろしくお願いします!」とまさる君は、とても元気よく挨拶した。
「まさるは初航海だからな、面倒見てやれよ」と船頭は僕に向かって言った。
後輩ができた!!!
「よろしく。何歳なの?」と僕が聞くと「24歳です。」とまさる君は答えた。
“やっぱり年上か年上の後輩って微妙”と思った。
出された食事を流し込むように食べ「船に積む荷物はあるの?」と船頭に聞くと、母が「家の前にリヤカーがあるから、それに荷物を載せてるよ。船に持ってって」と言った。
僕は「わかった」と言い立ち上がると、「僕、手伝います!」とまさる君が元気良く言って僕と一緒に立ちあがった。

おお!後輩君!!なかなか良い心がけではないか!!清々しいじゃないか!!
家を出て、荷物の積まれたリヤカーを僕が押そうと持った時、まさる君が「僕がやります!」と言って、僕が持とうとしたリヤカーの取っ手を奪うように取り上げた。
まさる君がリヤカーを押し、僕はその横を歩いた。

「俺、自衛隊にいたことあるんですよ!」と、まさる君は話しはじめた。
「マグロ船ってキツイ仕事って聞いたんですが。俺、昔から鍛えてるんでキツイ仕事でも全然平気ですよ!」と言った。
僕は「別にキツくはないよ。あんた声でけぇな。」と、くわえタバコで歩きながら偉そうな態度でまさる君に向かって言った。
僕はかなりの先輩ヅラだ。
まさる君は、「すみません!!」と、また元気なデカイ声で答えた。
「あのさ、あんた年上なんだから俺に敬語使う必要ないよ。俺もあんたに敬語使わないし」と
僕が言うと。
「上下関係無いんですか?」と敬語で聞き返してきた。
「上下関係はあるけど、船頭と機関長に対してだけだよ。敬語使うの。マグロ船は仕事できる奴が偉いんだよ」と僕が言うと
「へぇ~実力社会なんだぁ。俺にピッタリだなぁ」と、なんだか満足気なまさる君だった。
船に着くと、すでにボースンが出港の準備をしていた。
リヤカーから荷物を下ろして、船に積み込んだ。
「ボースン、この人どこの寝台なの?」と僕が聞くと「お前が今使ってる寝台だよ」と
“ニヤリ”とボースンは笑った。
その“ニヤリ”の意味。僕は初航海の時に嫌と言うほど味わった。
居住区のドアを開けて、真正面の寝台のため引きずり出しやすいのだ。
それを聞いた僕も“二ヤリ”とした。
僕の寝台は、まさる君と同じ部屋の奥の上の寝台だった。
ちょっと出世した気分。
まさる君を寝台に案内した。
寝台を見たまさる君は「せまい!!」とまたデカイ声で言った。
やたらと声がデカくて元気の良い奴だ。
彼の身長は180㎝位あり、足を曲げないと寝台に収まらない。
僕は、自分の寝台に行き布団と自分の荷物を置いた時、寝台の異変に気がついた。
「なんだ!?寝台にテレビとビデオがある!」

下の寝台を見ると、同じようにTVとビデオが設置してある!
ボースンのところに行き「寝台にテレビとビデオがあるんだけど!?」と言うと。
「この航海から、船頭が全部の寝台に設置してくれたんだ」と言った。
なるほど!だから、実家に大量のビデオテープがあったのか!
母親は僕らが航海に出ていた間、色々なTV番組を録画してくれていた。
すげぇ!!なんだ、この満たされた感じは!?

ついこの前、彼女にはフラれちゃった僕だけど!!

出港の時間が近づいた。
出港する時、ブリッジ上のスピーカーからガンガンに音楽を鳴らす。
それが出港の合図だ。僕は、ブリッジに行きカセットプレイヤーにカセットを入れ再生ボタンを押した。
矢沢永吉の「バイバイ・サンキュー・ガール」

失恋した僕にはピッタリの曲だ!

船には、出港の見送りに来た船員の家族が繋いだ、航海の無事を祈る五色のテープが繋がれ風で旗めいていた。
船員達は岸壁の防波堤の所にいて、それぞれの家族とひと時の談笑を楽しんでいる。
幼子を抱きしめる人、奥さんと話す人、友達と楽しそうに話している人。
それぞれがしばしの別れを胸に、談笑していた。
その時「出すぞ!」という、船頭の大きな掛け声がかかった。
掛け声と共に船員達は船に乗り込んだ。
岸壁には一番綱を外すために、祖父が立っていた。
船側の一番綱が緩められると、祖父は一番綱を外した。
出港だ。
その時、普段は大きな声を出さない祖父が「大漁してこいよ!」と僕に穏やかな顔で声をかけた。

祖父の大きな声を初めて聞いた気がして不思議な感じがした。
祖父は、漁師の風貌を漂ってきつつある僕を笑顔でずっと見つていた。
祖父が見ていることに気がついていたが、見られていることが照れ臭くて淡々と出港の作業をした。
船員達は機敏に、そして淡々と接岸用のロープや坊弦柵(ぼうげんさく)を、手際良く船首甲板の倉庫に納め航海の準備を続けていた。
そんな中、何をして良いかわからないまさる君は茫然とそれを見ているだけだった。
そんな、まさる君を見て「一年前、俺もあんな感じだったなぁ」と思った。
海は凪(なぎ)で、そよそよと春の風が吹いていした。

船が港から外洋に出ると船は揺れだした。
マグロ船特有のローリング&ピッチングだ。
まさる君はその揺れに逆らいながら、他の船員とは逆方向に体重移動をし、船の揺れに抵抗しているように見えた。
「ありゃ30分もすると気持ち悪くなるな」と僕は思った。
しかし、それを教えても理解できるものではない。
体が無意識に反応し、頭で理解できても体は言うことを聞かない。
一年前の僕もそうだった。
片付けが終わると、船頭が僕を呼びとめた。
「この航海だけお前が飯炊きしろ、まさるがマグロ船が続くようだったら次の航海から飯炊きをさせる」と僕に言った。
それは想定していたので、別に驚きもしなかった。
その航海は、総員8人での出港で、時計を見ると16時前だった。
僕の当直は飯炊き専用固定ワッチ(当直)の18~20時で、ワッチまではまだ時間がある。
今寝てしまうと、夜眠れなと思いワッチの時間まで寝台に設置されたTVでビデオを観た。
ビデオは最高だ!
出港した当日の夕食は幕の内弁当なので、夕食の用意をする必要はない。
17時30分、僕は弁当を食べてから当直に行こうと寝台を出て船員室から食堂に出た。
その時、テーブルの上の弁当を確認すると、弁当は4個残っていた。
幕の内弁当を食べて、ブリッジ行きワッチについた。
ワッチが終わり、寝台に戻ろうと船尾の船員室に向かった。
船員室に入る時、テーブルの上には弁当が一つだけ残っていた。
それが、まさる君の弁当だと言うことは明らかだった。
翌朝、朝食を作ろうと6時に起きて船員食堂に出てみると、その弁当はまだテーブルの上にあった。
船員達が朝食を済ませ仕事の準備に入り、僕も朝食を済ませ朝食の片づけをし昼食の準備をして仕事に加わった。
仕事に加わると、あれ?一人足りないんじゃない?と思った。
まさる君の姿が見えない。
怪物君に「まさるが出てきてないよね?起してこようか?」と言うと、それを聞いていたボースンが「寝かしとけ」と僕に向かって言った。
へ!?寝かしとけ!?
あれ?僕、髪を鷲掴みにされて寝台から引きずりだされましたよね??
不思議そうな顔でボースンを見てると、ボースンは僕に向かって言った。
「どうせ“お客さん”だろ、無理させんな」
当時、遠洋マグロ漁船に一攫千金に憧れて乗船してくる人は少なくなかった。
しかし、そういうロマンを求めて乗船してきた人は、現実のマグロ船を知ると
大体の人が1航海(約2〜4ヶ月)でマグロ船を辞めていく。
船員達は、そういう人のことを揶揄し“お客さん“と呼んだ。
「お客さんなら、仕方ないね」と僕は言って、怪物君と談笑しながら仕事を続けた。
出港して4日目の朝。
いつものように朝食の片付けを済ませて作業に加わると、顔面蒼白で頬のコケたまさる君がいた。
僕はまさる君に「大丈夫?」と声を掛けた。
まさる君は「大丈夫、もう慣れたから」と答えた。
しかし、その顔面は青白くで血の気が全く、全然大丈夫そうに見えなかった。
正午、仕事が終了し僕は用事を済ませて賄いの片付けようと食堂に行った。
テーブルの上には、昼食のチャーハンが二皿残っていた。
一つは僕ので、もう一つは多分まさる君のだろう。
僕はまさる君の寝台に行きカーテンを開け「まさる君、ご飯食べたの?」と聞いた。
まさる君は、寝台の電灯を付けて「気持ち悪くて食べれない」と答えた。
僕は「気持ち悪いのはわかるけど、食わなきゃずっと気持ち悪いままだよ」と言った。
するとまさる君は「あとで食べるから」と、怪訝な顔で答えた。
「後で食べるじゃねーよ。あんたが食べねぇと俺の片付けが終わらねぇんだ。いいから黙って騙されたと思って食べてみなよ」と言い、続けて「俺もあんたと同じ思いしたんだからさ。食べて吐いてみなよ。楽になるから」と言うと、まさる君は顔を上げ「わかった」と言って起き上がり、僕と一緒に昼食をとった。
まさる君はチャーハンを二口食べてウッとなり、船尾甲板に続く階段を駆け上がって外に出て行った。
数分して戻ってきて、そのまま船員室に入ろうとしたので「待て!もう一回食べて、今のもう一回やってみな」と、僕が言うとまさる君は「無理」と答えて部屋に戻ろうとした。
「無理じゃねぇ!黙って言うこと聞け!食べろ!!」と僕が声を荒げると、まさる君はムッとした顔で腰をおろしチャーハンを食べは始めた。
「全部食べろよ。食べなかったらブン殴るぞ」と言って、僕は船員室に入り寝室に横になった。
すると寝台の下からバシッ!バシッ!と音が聞こえる。
下の寝台の電灯が付いていて、カーテン越しにシルエットが映し出されている。
怪物君だ。
僕は怪物君の寝台のカーテンを開けて「またやっての!?」と聞くと「ばかやろ~!爪で背中ガリッだぞ!」といつもの返事。
「背中に爪の跡ついてるの見たことねーぞ!」と突っ込むと
「ばかやろ~!!俺は一日で治るんだよ!!」と、平気な顔をしてウソをついた。
「強めにバシバシやんないと、背中ガリッて無理なんじゃない?」と煽ると、怪物君は渾身の力を込めて濡れタオルを自分のイチモツに振り下ろした。

とても良い音がした瞬間、怪物君の顔がゆがんだ。
「あれ?痛いの?今、痛かったんでしょ!?」
「ばかやろー!痛くねぇよ!!ばかやろー!」と引きつった笑顔の怪物君。
それ以来、怪物君は僕の目の前でバシバシバシをしなくなった。
翌日、まさる君の顔色は元に戻っていた。
僕を見かけたまさる君は「いやーー船酔いって結構キツイんだなぁ!!」と、デカイ声で言った。
仕事中、まさる君は大きな声で話し続けていた。
「僕、自衛隊にいたことあるんすよ!その時相当鍛えられたから、船酔いさえ治れば大丈夫!」と、“元自衛隊”を、強調していた。
出港して12日目、船は第1回目操業をむかえた。
1回目操業の揚縄が終わり、まさる君を見た。
あきらかに、疲れたきった顔をしていた。
2回目操業の揚縄の時、まさる君は魚倉の上に座り込み動こうとしない。
「商売!!」
縄先から声がした。
僕は、枝縄を受け取った。
その頃には僕は、枝縄を持った感覚で何が釣れているのかわかるようになっていた。
「サメだ」と僕が言うと、怪物君が鉤(カギ)を構えた。
船にサメが上げられ、生きていて暴れている。
「おい、サメ殺せ!」と、まさる君は先輩に言われた。
すると、まさる君は面倒臭いと言わんばかりの明からに嫌な顔をした。
その、面倒臭そうにしているまさる君の顔を見たある先輩が、まさる君をドヤしつけた。
「てめぇ!なんだその顔は!なんか文句でもあんのか!」と。
まさる君は「文句なんかねーよ!」と、先輩に対して怒鳴り返した。
当たり前のことだが、怒られると誰でも嫌な気持ちになる。
まさる君にとっては、全てが初めての経験で疲れもストレスも相当溜まっていたんだろう。
何かに怒りを打つけなければ、自分が壊れてしまいそうなる感覚はわかる気がした。
僕も経験したことだ。
そんな時、ボースンに言われた。
「怒る元気があるんだったら、もっと働け。動け。」
その言葉で、冷静になれた。
ボースンの言っていることは正しかった。
しかしその時、まさる君は完全に自分を見失っていて混乱していた。
怒鳴りつけた先輩に殴りかかって行った。
まさる君の身長は180㎝を超え、元自衛隊と言うことは多少の格闘技の経験もあっただろう。
先輩船員との身長差はかなりあった。
二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。
前にも書いたが、船には病院は無いし医療従事者もいない。
小さな怪我が死に繋がることが多々ある。
ラインホーラーが止まり、揚縄は一時中断した。
二人を止めなければ。
僕はまさる君の着ているカッパの背面の首元を右手で持ち、それを力の限り引っ張った。
まさる君は、僕の足元に転がった。
まさる君はビックリした目で僕を見ながら「お前、何するんだ!」と叫び、僕に向かって来ようとした。
キックボクシング経験者の僕は、真っ直ぐ向かってくるまさる君を受け流し、左横蹴りをまさる君の右脇腹に決めた。

ドスッ!
左横蹴りは綺麗にまさる君の右脇腹の決まり、まさる君は腹を抑えて甲板にうずくまった。
僕はうずくまるまさる君に向かってマグロ解剖用の包丁を投げつけ、僕も右手に包丁を持った。

「その包丁持て、俺にかかってこい。子供の喧嘩じゃねぇんだ、大人の喧嘩をやろうじゃねぇか」
そう言って、まさる君を睨みつけた。
まさる君は唖然とした顔で、僕を見上げていた。
誰も何も言わないし、止めようともしない。
甲板には船のエンジンの音に包まれていた。
みんなは、僕が何をしたいのかを理解していた。
まさる君は包丁を持つことなく、うつむいた。
僕は、まさる君に近づき
「ここは船の上なんだ、舐めたことすんじゃねぇ。病院も無いし医者も居ねぇんだ。ちょっとでも誰かに怪我させてみろ、間違えたらテメェ人殺しになんだぞ。人殺しになる覚悟がねぇなら、なめたことすんな」と言った。
僕は手に持った包丁を置き「どうせ疲れるんなら、気持ちよく疲れた方が良くねえか?」と、まさる君に言った。
まさる君は反省した顔で「はい」と言って立ちあがり、さっき揉めた先輩ところに行き「すみませんでした」と謝罪をした。
先輩は「わかった。俺も怒鳴って悪かったな」と言った。
揚げ縄が再開された。

無力の海

その出来事も操業の回数を重ねる日々の中で忘れられていった、11回目の揚縄の時だった。
上原さんという、ベテラン漁師の先輩がいた。
年齢は当時38歳。

今の僕より、若い事になる。
色黒で背が高く太った体系をしていて優しい海の男で結婚はしていなかった。
僕が初めてマグロ船に乗った時から、一年以上苦楽を共にしてきた仲間だ。
上原さんは寡黙で声を荒げることも怒ることも無かった。
僕がボースンや船頭に怒られた時「あれだけ殴られたら、誰でも弱音吐くのに。お前は一切弱音を吐かない、大したもんだ」とか「初めてマグロ船に乗ったとは思えないな!お前、即戦力だ」と、新人の僕をただ一人褒めてくれ励ましてくれた。
そんな上原さんは大酒飲みだった。
酒を飲んで酔っ払って暴れたりすることは無く、酔いに揺られているのが好きな人だった。
とにかくウィスキーが大好きで、まるでコーヒー飲むかのように大きめのマグカップに並々とウィスキーを注ぎ、キューっと半分近く一気に飲み、その後はチビチビと飲むのが好きだった。

漁師に酒飲みは多いが、あれほどの酒好きは今まで見た事が無い。
よく船頭に「お前、飲み過ぎだぞ。体壊すぞ」と説教をされていた。
投縄が終わって、友船(ともぶね)と会合をした。
友船とは、仲間の船という意味で、一般的には“僚船(りょうせん)”と呼ぶ。
会合とは、洋上で船同士ロープを使い物々交換をすることをいう。
その日の会合でスイカを貰った。
揚縄中、僕は夕食を済ませて夜食の支度をし夕食のデザートにと思い、会合で交換したスイカを切り分けて揚縄に持っていった。
その日は無風状態で、投光器に照らされている甲板の気温はとても高かった。
揚縄を続けながら、船員は交代で休憩をとりスイカを食べた。
上原さんも船員達と一緒に談笑しながら、スイカをおいしそうに食べていた。

揚縄は順調に進み、上原さんは船尾の倉庫に枝縄が収められたカゴやウキを片付けに行った。
上原さんが船尾のベルトコンベアーのボタンを押したのだろう、船首甲板のベルトコンベアーが回りだし載せられたカゴとウキが船尾に送られて行った。
ベルトコンベヤーが止まった。
僕は、いつものように揚縄に参加しブランリールで枝縄(えだなわ)を巻き上げていた。
普段通りの上げ縄が進んでいるて、上原さんが船尾に行ってから数十分が経った頃
船頭が窓から顔を出してまさる君に声をかけた。
「おい!上原が甲板に戻ってないぞ。まさる、見て来い」
まさる君は、甲板からブリッジの横の階段を上がり船尾に駆け足で行った。
少しして、まさる君が血相を変えて甲板に戻って来て「上原さんが倒れてます!!」と叫んだ。
縄を巻き上げるラインホーラーが止まり、船が停止した。
船頭がブリッジから飛び出し、船尾に急いで行くのが見えた。
船頭に続き、僕や船員達もそれに続いた。
船尾に行くと上原さんが船尾の床に仰向けに倒れていて、目は半開きになっていて口からは白い泡のような物が流れているのが見えた。

その姿を見た時「マズい」と思った。
学生時代、救急救命の講習を受けたことがある。
人は病気が原因で倒れる時前のめりに倒れる、人間の骨格は前方にしか曲がらないからだ。
しかし後ろ側、すなわち仰向けに倒れた場合、倒れた人は無意識のうちに倒れた可能性が高く、その場合、生命に関わる疾患の可能性が高いと教わったことがあった。
顔色を見ると、上原さんの黒い顔は青みかかっていてどす黒く見えた。
船頭が「上原!」と声を掛けたが、上原さんは全く反応しなかった。
船頭は、上原さんの頬っぺを何度か叩いが全く反応がなかった。
船頭が「俺は無線で陸の緊急連絡をする!ケイジ!救命措置しろ!」と僕に言い、ブリッジに駆けて行った。
僕は手袋を取り、上原さんの口と鼻のところに手を当てて呼吸の確認をした。
呼吸は確認できなかった。
次に上原さんの胸に耳を当て、心臓の音を聞いた。
しかし、エンジン音が上原さんの体から伝わってきて、心臓の音も鼓動も確認ができない。
脈拍を確認しようとしたが、やはりエンジンの振動が上原さんの首や手首から伝わって来て確認ができない。
機関長に「主機エンジンを止めてもらえますか?心臓の音が聞こえないんです。」と言った。
機関長は頷き、機関室に走った。
まさる君に「懐中電灯を持ってこい」と言うと、まさる君はブリッジに走って行き懐中電灯を持って来た。
僕は懐中電灯を使い、上原さんの閉じている目を明けて瞳孔を確認した。
上原さんの瞳は白く濁っていて、懐中電灯の光を当てても瞳の中心が動くことは無く、瞳孔は開いているようだった。
主機エンジンが止まり、船の振動は無くなった。
僕はまた、上原さんの胸に耳を当て鼓動を確認したが鼓動は聞こえなかった。
「誰か、上原さんのカッパと上着を脱がせて!」と僕が言うと、兄が上原さんの履いているカッパと上着を脱がせた。
僕は、人工呼吸用のマウスピースをブリッジに取りに走った。
ブリッジに行くと、船頭が日本船舶医師会への緊急無線連絡を繰り返していた。
救命道具箱から人工呼吸用のマウスピースを取り出し、操舵席のクッションを持って船尾に戻った。
僕は上原さんの気道を確保しようと、クッションを丸めて上原さんの後頭部の首の付け根にクッションを入れ、顎を押して口を開けてマウスピースを口に差し込こんだ。
兄に「ここの部分を力一杯、強く押してくれ」と言い、心臓マッサージのやり方を教えた。
僕はマウスピースに口にあて息を吸い込みマウスピース伝いに息を吹き込んだ。
僕が息を吹き込むと、上原さんの肺が膨らんだ。
マウスピースから口を離すと、膨らんだ肺が萎むと共に口からは空気が漏れた。
上原さんから漏れてくる空気には、全く意思が無かった。
兄に「力一杯押して」と言い、ボースンに「耳元で、声をかけてやってくれ」と言った。
ボースンは上原さんの耳元で「上原!」と何度も声をかけた。
それを、何度も何度も繰り返した。
数十分して、船頭がブリッジから船尾に来て「どうだ!?」と聞いた。
救命措置を始めてから、どのくらい時間が経ったのか全くわからなかった。
僕が「意識がありません」と言うと、船頭は「続けろ」と言ってまたブリッジに戻って行った。
僕は人工呼吸を繰り返し続けてた。
僕の顔から上原さんの顔に、僕の汗が落ちた。
上原さんの顔に落ちた汗は、人間の顔の皮膚の上に落ちた感じではなかった。
まるで、無機質の物体に落ちたかのようだった。
それは、人間とは違う全く意思をもたない物体に思えた。
それを見た時、心の中で「死んだ?」と思ったが、声には出さなかった。
それから30分位経った頃、船頭が再度船尾に来て、改めて「どうだ?」と僕に聞いた。
僕は、かぶりを振るしか出来なかった。
船頭は「替われ」と僕に言って、上原さんの横に屈むと上原さんの半開きの目を指で開き瞳孔を確認した。
次に手で呼吸を確認し、胸に耳を当てて心臓の音を聞いた。
そして「ダメかもな」と、ポツリと言った。
ついさっきまで、一緒に仕事をして、スイカを食べ、笑ってた人が突然亡くなった?
僕は「夢だろ?」と思った。
「そんな簡単に人が死ぬ訳ないよ、さっきまで元気だったんだ。嘘だろ?」
僕は心の整理が付かずに、その言葉を繰り返し頭の中で連呼していた。
マグロ船に乗って約1年が過ぎた。
毎航海、大小はあるが誰かが何かしらの怪我をした。
しかし、これまで事なきを得て来た。
みんな、怪我の大小に関わらず“生きていた”いた。
だがそれは、もしかしすると生と死の間のスレスレのラインを歩いていただけかもしれない。
しかし、どんなにスレスレであろうと、結局は必ず生の方に歩み最後には笑って話せる日が来る。
そう信じていた。
それまで、他船で怪我や病気が原因で船員が亡くなる事故の話を何度か聞いたことがあった。
自分の乗っている船ではなかったため、話を聞いても実感もなく、全く他人事だった。
まるで、自分は安全な場所居て、遠い雷を聞いているかのように。
遠雷を聞くが如く、自分は安全な場所にいると思い込んでいた。
そしてこうも思っていた「俺の乗った船は何があろうと大丈夫さ、絶対に誰も死にはしない」
本気で、そう思い込んでいた。
しかし本当は、死はすぐ側にあり僕たちは常にその危険性に晒されていただけだった。
そして僕たちは、人を助ける術も方法も持ち合わせていないことを知らしめられた。
横たえている上原さんを見ながら、心の中で絶望感と恐怖心とが交差した。
呆然となる船員達に船頭が「上原をブリッジに運べ、とにかく縄をあげよう」と声をかけた。
あまりにも突然すぎて、悲しむ余裕も無かった。
怪物君が「ケイジ、上原さんの肩の方を持ち上げろ。俺が足を持つから」と僕に言った。
持ち上げた上原さんの体は、すでに死後硬直が始まっていた。
それは、感覚でわかった。
上原さんをブリッジに運んだが、ブリッジのドアは小さいため一度入れると二度と出せなくなると思った。
僕が船頭にそれを言うと「そうだな。毛布を敷いて機関室の通路に横にしといてやれ」と言った。
ブリッジの後方には、甲板通路から機関室入り口につながる通路がある。
その通路に上原さんを運び、毛布を敷いてその上に横たえた。
怪物君が、タオルで上原さんの顔を覆うようにとタオルを持ってきが、僕はそれを止めた。
怪物君は、黙ってうなずいた。
揚げ縄を再開し、その日の操業を終えた。
ブリッジでは、船頭と機関長が話し合っていた。
船頭から、二番魚倉に入っているマグロを釣るための餌を全て捨てるよう指示が出た。
二番魚倉は空っぽになった。
改めて通路に横たわる上原さんの状態を確認したが、脈も無く息もしていなかった。
上原さんの遺体を二番魚倉に入れるようにと指示が出て、みんなで二番魚倉に上原さんを運ぼうとした時、「体を洗ってやれ」と船頭が言った。
僕と兄と怪物君は三人で、上原さんの体を洗った。
その時、僕の心は無だった。
何も考えられないし、何の感情も沸いてこない。
今思えば、無にするしか無かったのかもしれない。
仲間の突然の死を、受け入れることができなかったのだと思う。
上原さんの体を洗い、遺体を二番魚倉に運び入れた。
その時、もう一度呼吸と心臓の音を確認したが、はやり何も感じ取れなかった。
僕は、上原さんの大好きだったウィスキーを枕元に置き、船の揺れで転がらないようにロープで瓶を縛って固定した。
上原さんを収めた後、二番魚倉の扉は固く閉じられ、二度と開かないよう固く縛りつけられた。
風呂を終えた後、船頭にブリッジに来るように言われた。
ブリッジに行くと、兄と船頭がいた。
船頭が「陸にいる母ちゃんがな、上原の家族に事情と状況を説明しくれた。船首の魚倉が一杯になるまで、操業をしても良いと許可をもらった」と、悲痛な顔で僕達に言った。
母は上原さんの家族に土下座をしてお願いしたと、帰ってから聞いた。
僕と兄は、その意味を良く理解していた。
前の2航海、水揚げ高(売上)は芳しくなかった。
マグロ船を経営する家に生まれ育った僕は、水揚げ高が家計を左右することを子供の頃から嫌という程思い知らされて育った。
少年の頃、母が金を羨む姿を見て心を痛めた事が何度かあった。
しかし、船の全権を持つ船頭が決めた方針だとしても非常事態である。
船員達の心の負担は相当なものだろう。
船員が働かなければ、操業は出来ない。
その日、寝台に入った僕は「なぜ、異常に気付いてやれなかったのか?」そればかりを考えて一睡もできなかった。
翌日、船は休みを取り、兄と二人で船員一人一人に事情を説明し操業を続ける許可を貰った。
まさる君以外の船員は快く引き受けてくれた。
まさる君は、無理もない。
初めて乗った航海で、人の死に直面したのだ。
あの光景を目の当たりにして、自分はああいう死に方はしたくないと思ったに違いない。
それ以来、まさる君は投縄も揚縄も拒絶し寝台から出てこなくなった。
翌日から、6人で休み無く操業をした。
一度だけ、まさる君の寝台に行き「なあ、仕事に出てくれよ」と言ったが、まさる君は僕に背を向けて「ごめんなさい」と言うだけだった。
操業15回で、上原さんの入っている二番魚倉を除き、船首甲板の魚倉はいっぱいになり帰港を開始した。
その航海の帰港中は、どの航海よりも長く感じた。
船は、水揚げ地には寄港せず、直接郷里の港を目指した。
入港する前日の夜、船は海上保安庁の指示をした地点でアンカー(錨「いかり」)を下し停泊をした。
生ぬるい陸の香りが吹き込んでくる、夏の夜だった。
上原さんが眠る二番魚倉の冷凍を止め、遺体の確認をするため船頭が二番魚倉に入って行った。
僕と兄が一緒に入ろうとすると「お前達は見なくていい」と言われたので、僕達は魚倉の入り口から魚倉の中を覗いていた。
魚倉には電灯が設置されていないため、船頭は小さな電灯を持って魚倉内に入り、その電灯の光で船頭の影が見えた。
少しすると、影は小刻みに揺れ「上原、帰ってきたぞ。ごめんな、ごめんな」と声が聞こえた。
翌朝5時過ぎの夜明けと共に、船は港に入港した。
船の甲板部分は青いビニールシートで覆われ、外部からの視覚を遮断した。
岸壁に、上原さんのお姉さん夫婦と、母と祖父が来ていた。
船の隣に海上保安庁の巡視艇が繋がれ、海上保安員と検死官が乗り込んできた。
海上保安員から全船員下船許可が下りるまで、船から降りないようにと言われた。
上原さんの遺体を二番魚倉庫から出し、船首甲板に横たえると検死官による検死が始まった。
検死官は4人いて、遺体に外傷が無いかを念入りに確認した。
胸の当たりを細い筒状の物体を刺して、心臓の一部を取り出しガラス瓶のような物に入れた。
それらを終えたあと、検死を待つ僕たちの前に来て事務的な口調で「検体のサンプルを精密検査にかけて結果を出す必要はありますが、外傷は全く見受けられませんでした」と告げた。
検死が終わると、陸から棺桶と白装束と清水(せいすい)が運び込まれた。
上原さんの体を清水で洗い、白装束を着せた。
船頭と僕と兄、それと上原さんのご遺族と一緒に綺麗になった上原さんを棺桶に収め、上原さんの手に六文銭が書かれた紙を持たせ棺桶の蓋を閉じた。
上原さんの棺桶が陸に上げられている時、上原さんのお姉さんは泣きながら棺桶を撫で「お帰り」と言った。
共に笑いながら帰ってくるはずだった。
その光景を目の当たりにした船員達は、船友を亡くした悲しみと助けられなかった悔しさで打ちのめされ、堪えてきた気持ちが一気に噴き出し、皆その場にしゃがみこんで泣き崩れた。

つづく

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