僕がマグロ船に乗って、約2年の月日が経過しようとしいた。
船の生活にも馴れ誰からも指示も命令もされなくなっていて、逆に他の船員に指示を出すようになっていた。
僕の漁師としての成長には、常に4歳年上の兄の存在があった。
子供の頃から兄は病弱で、背骨のゆがみからくる体調不良に加え酷い小児ぜんそくを患っており、学校に行けない日も多かった。
まだ現代のように医療が発達していない頃で、故郷の離島には小さな病院が一つあるだけ。
父はマグロ船に乗っていて不在が多かったため、母は兄の看病が大変だったことと、僕に病気が移るかもしれないことを危惧して僕を祖母の家に預け、僕は幼少期を祖母に育てられた。
兄はマグロ漁船を生業としてきた家系に生まれた、待望の長男だった。
しかし、病弱が故に幼少の頃より漁師になることは無理だろうと言わ育った。
だが、親の反対を押し切りマグロ船に乗った。
蛙の子は蛙である。
僕が初めてマグロ船に乗った頃、すでにバリバリの一人前漁師の兄がいた。
兄に追いつき、いつか必ず追い越してやる!
兄に負けたくないという気持ちはが常にあった。
力比べでも、仕事の早さでも、仕事の正確さでも、全てにおいて常に兄と自分を比較していた。
それがあったからこそ、僕は漁師として少し早く成長できたのだろう。
常に兄が出来ない事を僕は出来るように、兄が不得意としていることを僕は得意にしようとした。
「兄に追いつき、兄より上に行きたい」
船を会社に例えると、部署は二つの部署になる。航海部と機関部だ。
船どちらかの部署での実務経験が船員としての履歴となり、その実務経験に基づいて取得できる船舶免許「航海士免許」か「機関士免許」が決まる。
兄が航海部であり機関を苦手としていた。
だから機関長になりたいと思い、その航海の南下中に機関長に機械の事を教えて欲しいと願いでた。
それに機関長は快諾してくれた。
通常の仕事が終わった後、機関長補佐として機関室の中で仕事をする時間が多くなった。
機関長は寡黙な人で“教えるタイプの人ではなく、見て覚えさせるタイプの人”で、
僕は機関長が機械整備している後ろにいて、その様子を覗き見てして仕事を覚えていった。
機関室を出て休憩で一服している時に「さっきの作業は何をしたのか?」「機械のどの部分になるのか?」などを質問して仕事を覚えていった。
機関長はやって見せた仕事を僕に実践させ、実践しながら間違った部分を修正していく方法で機関室や機械器具の仕事を覚えていった。
機関室内の気温はエンジンの熱によって常に50度位あり、けたたましいエンジン音とオイルの焼ける匂いがしていた。

機関室で機関の仕事をすると、手はオイルまみれになり爪の間は常に真っ黒だった。
真っ黒くなった指の間を見ると、何だか機関士の仕事をしたという満足感があった。
機関日誌の記入方法、発電機のオイル交換方法、燃料フィルターの交換方法、バッテリー液の補充、1号補機(発電機)と2号補機(発電機)の切替え方法等の基本的な作業からはじまり、配管からの水漏れの補修や修理、溶接のやり方等。
毎日、機関長に張り付いて仕事を覚えていった。
仕事をする上で徹底させられたのが、機関室の清掃だった。
機関長は「機関室が汚れている船は、いつか必ず事故を起こす。そして儲けも悪い」と僕に教えた。
僕は毎日機関室の床を磨いた。
そうしていると、ある事に気がついた。
常に機関室を清潔に保ち床をピカピカにしていると、黒いオイルが一滴でも床に垂れいれば、その小さく黒い汚れはピカピカの床では際立って目立つ。
機械のどこかからかオイルが漏れ出している証拠だと直ぐにわかる。
機関を管理する上で、非常に合理的な方法だと思った。
そして、その時に身についた清掃癖は、今でも抜けない。
今の僕の部屋を見たことがある人は信じられないかもしれないが、それまで僕の部屋といえば何がどこにあるのかわからないくらい散らかっていてゴミが散乱した部屋で暮らしていた。

その当時の部屋の様子

現在の部屋の様子

当時の僕は、冷凍長兼機関長補佐という役職で、若い僕は自分の進むべき道を必死で模索しながら、“機関長”という大きな目標を達成するために、目の前にある課題や小さな目標を一つ一つクリアして行った。
一つの小さな目標をクリアすると、すぐにまた次の小さな目標が現れ、その小さな目標をクリアするために試行錯誤していた。
それと、この頃もう一つ変わった事があった。
本を読むようになったことだ。
これは親友の一言がきっかけだった。
親友の家に遊びに行くと一冊の本があった。
僕はその本を見て「お前、こんな本よんでるの?」と聞いた。
「お前も読んでみろよ、面白いし考え方がちょっと変わるかもしれないぞ」と言われた。
彼には、子供の頃から色々と影響を受けていた。
何気なく、その本を手にした。
落合信彦著「狼達への伝言」という本だった。


僕の人生に、多大な影響を及ぼした一冊であることは間違いない。
この本に出会っていなければ、今の僕は無かったと言っていい。
この本の中に書かれていた
「苦しみも悲しみも人生のスパイス、自分自身の二本の足で立つしかない!」という言葉は、今でも大好きな言葉だ。
そしてもう一冊。
僕のバイブルと言っても過言ではない、矢沢永吉著「成りあがり」

中学生の頃、船の経営がうまくいかずびっくりするほど貧乏だった。
毎晩、布団の中で豆電球をたよりに読んだ本だ。
それを改めて読んだ。

「1回目、ボロボロになる。2回目、落とし前をつける。3回目、余裕」


永ちゃん語録の中で、一番好きな言葉だ。
改めて読んでみると中学生の頃とは全く違った感覚を受け、自分の身の上と重なる部分が多くあった。
まだ携帯電話やスマートフォンも無く、パソコンやインターネットが無かった時代。
船には、リアルタイムで見れるTVも無い。
ほとんどの情報は、本から得た。
日本の文化、宗教、国際情勢、社会問題、哲学、心理学、経済。
寄港した時に色々な本を買込み、出港してから空いた時間を見つけては本を読んだ。
本を読むことによって書かれていることへの疑問や意味の分からないことが生まれ、それを調べるために専門書を読み調べる。
これの繰り返しだった。
本を読む事によりボキャブラリィが増え、いつの間にか僕は自分の気持ちを正確に簡潔な言葉で表現できる言語化能力が身についていた。
そんな頃、僕は色々な事を経験していく中で、人生設計とまではいかないが一つの決め事をした。
25歳までは、自分の好きな事や興味を持った事を徹底的にやろう。
ルールは、法律を犯さなければ何をやってもOK。
25歳になってから、それまでの経験を振り返り、改めて自分の生き方を見つめ直し、自分の好きなことや成りたいものみつけ、それを夢にしよう。
漁師としては、仕事も体力も先輩達に負けない程度になってきた。
釣れたマグロやサメのほとんど枝縄は、僕が手繰る(たぐる)ようになっていた。
ボースンが「生きたマグロは、ケイジにまかせろ」と言ったのがきっかけだった。
生きたマグロを手繰り寄せるのには、コツがある。
キハダマグロやカジキマグロが釣れても、然程値段が高くないため慎重になる必要はない。
しかし、生きたメバチマグロや本マグロが釣れている場合、手馴れの漁師しかその役を任せては貰えない。
近海物の50キロのメバチマグロの場合、1キロ当たり1,800~2,500円の値がつく。
それをバラした(逃がした)となると、最低でも75,000~125,000円の損出をだすことになる。
マグロを逃すと言うことは、金を海に捨てるのと同じこと。
一人前の漁師は、釣れた枝縄を持っただけで、それに何が釣れているのかがわかる。
サメは、ズシンと重く枝縄を手繰っていくとスースーと泳いでくる。
カジキマグロの場合は、ギューギューと抵抗して綱引きのような感じ。
キハダマグロは、コツコツと小刻みな抵抗をする。
メバチマグロの場合は、クイクイと腰を使う感覚が手元に伝わってくる。
本マグロはコツコツ、クイクイと小刻み&腰使い。
マグロを手繰りよせる時のコツは、最初軽く引っ張りマグロが泳ぐ方向を船の方向に向ける様にする。
マグロが、船に近づいてくる様にに仕向けるのだ。
マグロは体形構造上真っ直ぐにしか泳げず、180度の急回転ができない。
だから、マグロの泳ぐ方向を船に向けてあげれば自ずから泳いでくる。
無理に引っ張る必要はない。
ただしマグロが船を見た瞬間、防衛本能から逃げようと走り込む。
マグロに走り込む隙を与えないよう、手繰り寄せる力を調節しながら素早く軽快に手繰りよせる。
抵抗され逃げようと走り込んだ場合は、持っている枝縄を絶対に押さえつけたりしてはならない。
枝縄を力任せに押さえつけると、口が裂けてしまいバレてしまう。
逃げようと走り込むと、枝縄に「とったり」と呼ばれる延長ロープを付けて、マグロを走るだけ走らせて止まるのを待つ。
止まったら改めて引っ張り、頭を船の方向に向けさせてから泳いでくるよう手繰る。
これを繰り返し、マグロの体力が弱るのを待ち、体力が弱った隙をついて一気に手繰り寄せる。
そして、弦門にマグロが頭を見せた瞬間、鈎で頭の部分をひっかけてマグロを船に上げる。
この時、絶対に甲板に打ちつけるように、マグロを下ろしてはならない。
甲板に打ち付けた衝撃で、マグロの身が割れ傷むのだ。
素早く手繰り、一気に上げ、そっと下ろす。
僕はこの要領と自分の感覚で、マグロと格闘をした。

殺す気か!!

しかし、ゴンドウクジラ等が近くにいたりするとマグロの食いが浅く良く、枝縄を軽く引っ張っただけでバレる。
その日、縄を揚げ始めてすぐに「商売!」と声が聞こえた。
僕はサッと舷門の中央に立ち、枝縄を受け取ろうとスタンバイした。
僕の手に枝縄が収まり、足を踏ん張り腰から胸にかけての力を抜く。
枝縄を持った手の感覚をから、キハダマグロだと思った。
生きている。
伝わってくるマグロの泳ぎ方に合せて、肩で引っ張るように態勢を整え、腕で枝縄を手繰り寄せようと枝縄を軽く引っ張った瞬間、バレた。
「ちくしょー、金捨てちまった」と思ったが、口には出さずポーカーフェイスで何も無かったように次のマグロを待った。
「商売!」
“こんどこそ!バラしてなるものか!”
さっきと同じように舷門で構えて、枝縄を受け取ったが持った瞬間バレた。
その次も、またその次もバレた。
バラしたことが悔しく、呆然とする僕の頭に“コン”と何かが当たった。
頭に痛みが走った後、足元に空き缶が転がった。
ブリッジで舵を取る船頭が、僕に投げつけたのだ。
「マグロを逃がすんじゃねぇ」という意思の表れだった。
アルミ製の空き缶なので、頭にあたっても大して痛くはないので無視をして知らん顔をしていた。
また「商売!!」と声がかかった。
僕はサッと舷門に行きスタンバイ、手に枝縄が収まる、枝縄を持った瞬間バレた。
誰かが「シャチ(ゴンドウクジラ)が近いんだな」と呟いた時、“ゴン!!”と、頭にかなり強い衝撃と共に痛みが走った。
僕は足元を見た。
足元にはさっきと同じ空き缶が転がっているが、缶の中から水が流れ出ていた。


アルミの空き缶が当たっても、知らん顔をした僕が気に食わなかったのか、船頭は空き缶に水を入れそれを僕に向かって投げ付けたのだった。

頭は痛かったが、痛がる姿を見せるのが悔しいので何事も無かったかのようにまた知らん顔をした。
もちろん船頭もシャチが近くにいることは百も承知である。

単なる船頭の八つ当たり。

漁師はゲンを担ぐ。
だから、悪いのはシャチではなく、僕なのだ。
僕が“バリ臭い”のだ。
ものすごく矛盾している考え方だが、往々にして漁師という人種はこういう考え方をする。
甲板からブリッジを見上げると、船頭が操縦する操舵席の机の上にズラリと空き缶が並んでいた。
「あれ全部水入れてるだ・・・」と、僕は思った。
「商売!」と声がかかり枝縄を手にする、しかしまたバレる。
その都度、水の入った缶が僕に投げつけられ、僕の頭や背中に当たる。
たまに缶が当たらないこともあるが、結構高い確率で僕の体のどこかに当たった。
なかなか良いコントロールをしてるじゃないか!!
その日、マグロが上がってくるのは10本中1本が良いところだった。
水入り缶が頭に当たるともちろん痛いし、頭にコブが2~3個できてきた。
だから僕は、野球用のヘルメットをかぶることにした。
揚げ縄も中盤になり「商売!」と、声がかかった。
僕は弦門にスタンバイ、僕の左手に枝縄が収まる。
右手に持った瞬間に「生きたキハダ」と僕は言い、2~3回手繰る(たぐる)とバレた。
するとヘルメットをかぶっている頭に水入りの缶がゴン!

だがヘルメットをかぶっているので、頭にちょっと衝撃があるくらいで痛くもかゆくも無い。
シレッと知らん顔をして、船頭のいるブリッジに背を向けヘラヘラと笑っていた。
そんな笑っている僕を見て、他の船員も笑っていた。
すると・・・・・。

背中にドッカーーーン!!!!!!

背中に物すごい衝撃と激痛が走り、僕はあまりの痛さにうずくまった。
うずくまりながら横を見ると、機関室の使い古されたバッテリーが転がっていた。

重さは30キロくらいあるバッテリーだ。
こんなものが頭に当たったら、首の骨が折れるか下手すると死ぬこともある。
バッテリーを見ると無性に腹が立ち、僕は起き上がりブリッジを見上げて

「殺す気か!!」

と、船頭に向かって怒鳴った。
すると船頭は、ブリッジの窓をあけて「マグロはテメェより高ぇんだ!逃すな!」と、僕に怒鳴り返した。
怒りが収まらない僕は、バッテリーを持ち上げ海に放り込んでやった。
それを見ていた機関長が僕に近寄ってきて
「よくやった!新しいバッテリーを買ってもらえるぞ」と、小さな声で笑いながら言った。
怪物君は、顔を隠しながらクスクスと笑っていた。
揚縄が終わり、風呂に入ろうとした時「お前背中、えらいことになってんぞ」と兄が僕に言った。
風呂からあがり背中を鏡で見てみると、右の肩甲骨から左の脇腹辺りに掛けて長方形の紫色の大きなアザができていた。


翌日は、適水(操業休み)で、船は別の漁場に向け航行した。
熱帯低気圧が発生し、海は大時化だったが「まあ、二~三日したら凪になるさ」と思った。
海がどんなに時化でも、どんなに寒かろうと、雨が降ろうが雷が落ちようが、マグロがいる海なら縄をはえマグロを獲る。
僕らは、マグロはえ縄漁船の漁師なのだから。

つづく

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